備忘録の備忘録

とにかく書くためのブログ。

ヘルスケア産業とグローバルに働くこと

先日、ヘルスケア業界でサービス運営をしている人や、国内のサービスの海外展開を手がけた人などとお話する機会があったので、そこでのお話をメモしておこうと思う。

 

 

ヘルスケア

少子高齢化に伴いますますのマーケット拡大が予測されているヘルスケア産業。

医療業界に大きな影響を持つ制度が「国民皆保険」だが、保険のあり方には大きなジレンマが存在する。

 

端的な表現は思い当たらないが、「アメリカ型」と「日本型」と分類して差し支えないだろうか。

日本では、ある治療行為に対して「○点」という形で点数が付けられ、それが保険に反映される。

例えば盲腸になって手術をしたとしよう。

同じ盲腸手術ならば、凄腕医師が切ろうが新米医師が切ろうが、「同質の治療」とみなされて同じ点数が付けられることになる。

そして、その「同質の原則」ともいうべきものが国民「皆」保険制度を支えているわけだ。

しかし現実問題、すべての医師の腕が均一なわけがない。

 

一方アメリカでは、医師の腕の差異が医療費の差異に直結する。

例えば盲腸になったとしても、誰に手術してもらうかで医療費が変わってくるわけだ。

当然腕が良いとされている医者ほど医療費は高騰することになる。

 

だが、この制度だと「国民全員(日本でも全員、ではないが・・・)」が同質の保険サービスを受けることはできなくなる。

なぜなら、同等の病気に対する治療費用が一定でなかったとしたら、国民全員にあまねく同じサポートを施すことができなくなり、「平等性」が失われてしまうからだ。

 

「同じ程度の盲腸」の患者Aと患者Bがいるとき、Aさんは凄腕医師の高額治療、Bさんは新米医師の低額治療を受けたとしたら、国民皆保険を平等な福祉サービスとして機能するのは極めて難しい。

 

そうとは言っても実際に医師の腕に差があるのは紛れもない事実で、そこに健全な競争原理が働くのは良い側面も大きいが、同時に盲腸手術1つで自己破産に陥ってしまうようなアメリカ人も恐ろしいほど多く存在しているというのもまた真実。

 

「平等」と「競争」という相反する概念の中で、人命に直結するヘルスケア分野でどのように向き合っていくのか。

それが今の社会が対峙している根本的な課題といえるだろう。

 

 

 

グローバルで働く

 

働くとは往々にして誰かと協業することだ(例外はあるけれど)

人が個人ではなくチームで働くとき、人と人の協力関係が極めて大事になる。

では、どうすれば良いチームが作れるのだろうか。

 

端的に言えば、チームメンバーがそれぞれのポテンシャルをお互いに引き出し、最大限発揮されている状態のチームは個の力では到底及ばないような成果を残し得るのではないか。

そして、そのためには互いに相手の価値観を知る、能力を知る、思いを知る、ということが不可欠になるのだと思う。

 

 

 

例えばそれらがいいチームの必要条件だとした時、同じ言語、似たバックグランドを持つ日本人を集めたチームでさえ満足のいくレベルでそれを成し遂げるのは簡単なことではない。

そして、グローバルで働くとは、それと同じことを母国語以外の言語で、時として想像も及ばなかったような価値観とぶつかり合いながら、なんとか互いに理解を深め、同じ課題に対して協力しながら立ち向かっていくことなんだという。

 

 

 

雑記

国家を語る人間になることについて。

国家社会を語る人間になるために本当に必要なことは何か?

目の前の事象について、「なぜ」というアンテナを張り、それを深ぼっていける人間ならばどの業界で働いていたとしても、その事業領域がいかに小さいものだとしても、肌感を持って自らの言葉で国家社会を語れるようになるのではないか。